美しい日本語ってなんだろう

 あのトンデモ本を読んでから、私にとっての美しい日本語ってなんだろう、ってことを考えた。懐かしい紀州弁はひとまず措くとして、文学作品でまず思い浮かんだのが宮沢賢治の「やまなし」。小学校の教科書で読んだときにはわからなかったけど、物心ついてから読み直してぶっ飛んだ。選び抜かれた言葉。ウイスキーの宣伝じゃないが、何も足せないし何も引けない、非の打ち所のない作品だと思った。
 次に浮かんだのが金子光晴『風流尸解記』。ちょっと引いてみる。

 その男は、少女の抜き衣紋の、撥なりの背すじに辷りこむ第二背柱の尖りを見おろすようにのぞき込んでいた。そろそろ梅雨のはじまりの、へんに蒸暑い日で、じんわり汗ばんだ少女の肌が、塗重箱のなかの粽餅のように、饐えたにおいを立てている。少女は、失明者の鋭さで、その男のいるのをとうに気付いていながら、それとないようすを装っていたものとみえて、その男にいきなり腕をつまかれても、さほど狼狽のもようもなく、当然顔で、つれてゆかれる方へ、あるきいだすのであった。
 『あわないですごした一週間が、すこしながすぎたかもしれませんね』
 その男から口を切ったのは、中二階のある仮りの板張りの喫茶店の将几に腰をおろしたときである。
 『わたくしも、あれから毎晩、ねむれませんでした』
 少女は、風邪をひいたような、かすれた声で言った。


   赦免状が三分おくれたために
   胴から首が離れた例もある。
   ましてや、七日間と言えば
   なにごとがあっても不思議はない。


 その男は、切子のコップのなかの、ぎらぎらしたかき氷を、硝子の棒でかき廻しながらそうおもった。

 少女の姿はときどきみえなくなるが、それは、じぶんの家に帰るのだ。だが、彼女はその家のありかを知らせないが、その男も、また、たずねもしない。しかし、二日も少女が姿をみせないと、その男は辛抱できず、いらいらしてくる。なんとかして招きよせるてだてと言うと、彼女の住所をきいていないので彼女に連絡してくれる家の電話番号一つあるきりであったが、世慣れ人間でなくても、それをたぐって彼女の家をしらべるぐらいなことは誰でもするものなのに、その男は、そんなことすらしようとしなかった。それも、ありがちな自尊心からではなくて、それくらいな労力ががまんできないだけの理由からであった。


   待つということは、つらいことだ。
  まるで、生きたまま魚網にのせられ
  せなかと腹をあぶられることだ。
  皮が焦げ、脂がなかから流れるまで
  まっ赤な堅炭の火にかけられることだ。

 こんな調子で(もっといい描写、いかした詩もあるのだが、長くなるしモッタイナイので伏せておく)、散文と詩がまったく違和感なく共存している。不思議な作品だ。美しい日本語の作品を一つだけ選べ、と言われたら、私はこの『風流尸解記』を選ぶ。

 『女たちへのいたみうた 金子光晴詩集』(集英社文庫)の解説で高橋源一郎は『マレー蘭印紀行』を取り上げ、「この本の中の日本語は、この百年間発表されたすべての本の中でももっとも美しい。日本的な因襲のすべてに、生涯にわたって反抗しつづけたその人が書いた日本語こそ、だれのどのような日本語より美しかったのです」と書いている。そして、高橋氏が例として引いたのが次の文章。

迂曲回転してゆく私の舟は、まったく、植物と水との階段をあがって、その世界のはてに没入してゆくのかとあやしまれた。私は舟の簀に仰向けに寝た。さらに抵抗なく、さらにふかく、阿片のように、死のように、未知にすいこまれてゆく私自らを感じた。そのはてが遂に、一つの点にまで狭まってゆくごとく思われてならなかった。ふと、それは、昨夜の木菟の眼をおもわせた。おもえば、南方の天然は、なべて、ねこどりの眼のごとくまたたきをしない。そして、その眼は、ひろがって、どこまでも圧迫してくる。人を深淵に追い込んでくる。
 たとえ、明るくても、軽くても、ときには染料のように色鮮やかでも、それは嘘である。みんな、嘘である。

 ああ、もうため息しかでない。金子光晴にしろ宮沢賢治にしろ、やっぱり詩人の書いた散文には格別のものがある。もともと詩は苦手で小説ばっかり読んでたんだけど、詩と散文の中間ぐらいが、いちばん私の好みに合っているのかもしれない。

セロ弾きのゴーシュ (角川文庫) 風流尸解記 (講談社文芸文庫) 女たちへのいたみうた―金子光晴詩集 (集英社文庫) マレー蘭印紀行 (中公文庫)