風の歌を聴きながら

 長らく戴きっぱなしで不義理をしていたので、本の紹介を。
 東瀬戸サダエ著『風の歌を聴きながら』は、以前紹介した『シナプスの笑い』ラグーナ出版が昨年11月に出版した単行本で、45年前に統合失調症を発症し、22年間にわたる病棟生活をおくった著者の「自伝的随想、短歌集」だ。
 本の帯には、

統合失調症は私の財産/人生とは最後まで生きぬくこと


発病して45年。いまや古希を迎えた著者が、22年間の病棟生活や、ともに生きた人々の姿を温かな視線でたどる。生の根源から生まれた情感豊かな短歌を織り交ぜ、生きる希望をこころにともすメッセージ。

とある。精神病院での生活やそこで出会った人々との交流を描いているのだが、もちろん楽しいエピソードばかりではない。統合失調症に対する周囲の偏見、それを隠そうとする一部の親類など、他人事として読むぶんには思わず憤りを感じるような話もあったが、いざ自分が当事者(その親類)の立場であったら、どう接することができるだろうかと、色々考えさせられた。
 いくつか、印象に残った短歌を紹介してみる。

わが病二十六歳に始まりぬ手首の傷も固く締まりぬ


兄たちの命けずりし銭金をわれは賜はりけふを生き継ぐ


たつきの姉のつめを切り揃ゆ曲れる指は労働のあと


割れるなき病院食器あらひつつ瀬戸物茶碗に食べたきものを


わが周り二重三重に施錠さる鍵持つナースしやばへの番人


重きもの負ひて行くごといにしえの人の言ひたるごとくありしも

 そして、著者の家族の手記の中で引用されていた歌。

わが生の夫なき子なき何をししあかき生理も終わりに近し

 ただし、この本には悲しみばかりが詰まっているわけではない。随所にカラッと乾いた明るさ、状況を笑い飛ばすユーモアがあるのは、鹿児島という南国の土地柄かもしれない。いつも最後の最後にたくましく立ち上がってくる楽観性に救われる。あとがきで「病気からいろんなことを学びました。長い入院中、まず明るい人の所に人が集まります。そして笑いが絶えません。」と語る著者は、本文の最後にこう書いている。

 人生の終焉が近づくにつれ、こんな人生でよかったのか?と思うことがある。いつも結論は、最後まで生きぬいてみないとわからない、ということだ。
 人生とは最後まで生きぬくこと。

風の歌を聴きながら