本明朝を語る、を聞きに行く

 今日(4/22)、リョービ東京支社で開かれた講演会「杉本幸治 本明朝を語る」に行ってきた。最近、本明朝-Bookを使う機会が多かったので、お誘いに甘えホイホイと軽い気持ちで出かけていったのだが、これが面白かった。
 杉本氏は、戦後すぐの三省堂時代から活字書体の設計に携わり、本明朝の源流といえる晃文堂明朝の制作にも関わった。以後、写植用書体の本明朝ファミリーを経て、現在のデジタルフォント「本明朝」の制作と監修にも携わっている(講演パンフの一部を要約)。
 一つの書体について、活字、写植書体、デジタルフォントと、すべての形態に関わってきた杉本氏だけに、話が具体的でとても興味深かった。活版全盛時代のことを私自身は知らないけど、ちょうど去年、名古屋活版地金精錬所で現役稼働中の活字鋳造機やベントン式彫刻機などを実見していたこともあって、話の内容をすんなりと理解できたのはラッキーだったかも。隣の若者は前半居眠りしてました(一応若者の名誉のために書いておきますと、後半の具体的な書体設計の話に入ってからはお目めパッチリでした)。
 とくに面白かったのは、過去に杉本氏が設計した原字(活字や写植文字板にする前の大本のデザイン)を見ながらの解説。原字を拡大して文字設計の方法を解説するはずが、「この横線の起しは宜しくない」「ここは太すぎる」と修正点を次々と指摘し始めた杉本氏、とうとうこれはヒドいと少し考え込んでしまった。しかしよく見ると、用紙の右上にバッテンがしてある。実はこれ、できがまずくてボツにしたデザインを、原字の見本のために撮影したものだった。とまあ、こんなオチまでついて一件落着。でも、しまいには製品版の本明朝-Bookの改良点まで指摘し始めるなど、妥協を許さぬ頑固親父ぶりはケッサクでした。
 また、進行役だった朗文堂の片塩二朗氏の「この曲線は雲形定規でどうやって引いたのか?」という質問に、杉本氏はどうしても口でうまく説明できず、最後に「(ここの曲線は)こうなるんだから仕方ない!」と言い放った場面なんかも、いかにも職人らしくて気持ちがよかった。杉本氏の頭の中には、引くべき線がはっきりと見えていて、それが引けるなら道具なんて何だってよかったということなんだろう。
 それにしても、御歳78歳という杉本氏は、今ではなんとMacを使って書体設計をしているそうだ。氏の文字に対する情熱に、脱帽の一日でした。