安吾の母校で安吾を学ぶ

 安吾の母校、東洋大学で開かれた坂口安吾誕生百年記念講演会&シンポジウム「坂口安吾と現代」に行ってきた。
 講演は荻野アンナ安吾の中のフランス」、山折哲雄安吾と悪」の両氏、シンポジウムは東洋大学の先生陣、野呂芳信(日本近代文学)、朝比奈美知子(フランス文学)、宮本久義(インド思想)、吉田公平(中国哲学)の4氏と司会の石田仁志氏によるものだった。講演では、山折哲雄氏の話が意外で面白かった。安吾に関する講演というよりは、悪についての氏の持論と安吾との関連、といった内容で、安吾色は少なかったけど、その“悪”の話がとても興味深かった。こんど『悪と往生』を読んでみようと思う。
 シンポジウムでは、なんといっても宮本久義氏の話。大学時代の安吾の勤勉ぶりが紹介され、『勉強記』で安吾が書いた内容が、あながち作り話でもなかったことがわかった。
 印度哲学倫理学科だった安吾が4年間で登録した講義が延べ2,874時限。うち出席が2,567時限で、出席率はなんと89.3%。卒業時の席次は2位(1年時は1位)だったそうだ。とくに成績が良かったのはサンスクリットパーリ語で94点。(幸運にも休憩時間に喫煙所で宮本先生と話すチャンスに恵まれた。これだけの高得点は現在でも年に1〜2名しかいないとのことだった)。『勉強記』の「決して無理に(何年やってもうだつの上がらない)梵語の勉強をおすすめは致しません」という梵語サンスクリット語)の先生のセリフなど、ファルス仕立ての作品なのでかなり誇張しているのかと思っていたが、同じことを宮本氏も学生に言っているそうだ。
 一方、比較的成績が悪かったのは中国哲学老荘思想とのこと。その話を聞いて、老荘思想安吾のお気に召さなかったのだろうと私は短絡的に思い込みそうになったが、そうではなかったことが次の吉田氏の話で判明する。
 吉田公平氏によれば、公(おおやけ)を重んじる儒教とは違い、「生地のままの人間存在をあるがままに全面肯定して、欲望のままに生きる、生命力の横溢を讃歌した」老荘思想は、安吾の『堕落論』などと同案だという。ただし、当時たまたま安吾荘子を習った先生が、時代柄か国体論に染まっていた人物だったらしく、安吾にとってはさぞや詰まらない授業だったろう、とのことだった。このあたり、安吾の母校だからこそ聞ける話で、それだけでも行ってよかったと思えた。
 全体の印象は、文学専門の話より、インド哲学など他分野の先生方の話の方が新鮮で面白かったように思えた。私自身が国文学科出身ということもあり、文学研究寄りの話にあまり新味を感じられなかったからかもしれない。でも、安吾ファンを公言する荻野氏の話、とくに安吾作品との出会いやハマっていく過程の話は、共感できる部分が多くて楽しめた。
 シンポジウムが終わった後、往来堂でも覗いて帰ろうと千駄木まで歩いていると、初めて見る古本屋があったので入ってみた。“古本と珈琲”ブーザンゴというお店。トリスタン・ツァラ『ダダ・シュルレアリスム』(浜田明訳、思潮社)があった。最初と最後のページからそれぞれ天地を逆に本文が印刷され、中央で出会うという凝った構成の本だ。そういえば安吾トリスタン・ツァラを翻訳してたな、と思うとなんだか運命的なものを感じ、思わず購入してしまった。その後、往来堂に立ち寄り、フランツ・カフカ流刑地にて』のサイン&イラスト入りの本(訳者の池内紀氏のもの)があったのでこれも購入。今日はなかなか充実&幸運な一日だった。
悪と往生―親鸞を裏切る『歎異抄』 (中公新書) 流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)