松之山探訪の巻

 先週の土日、念願だった松之山に行ってきた。松之山には、安吾の叔母と姉が嫁いだ村山家があり、安吾もよく訪れていたようだ。「黒谷村」「禅僧」「木々の精、谷の精」「不連続殺人事件」などなど、何度も安吾作品の舞台になっているので、一度は行ってみたいと思っていた。
 “新潟の秘境”と聞いていたので、とんでもない田舎を想像していたが、結構人家は多かった。温泉で有名らしい。安吾の碑が建っている小学校なんかとても立派で驚いた。鉄筋コンクリートだもんな〜。私の田舎の方がよっぽど秘境だ(私の母校は木造校舎で、小中ともすでに廃校になってしまった)。

 『安吾探索ノート 第6号』(安吾の会)片手に、安吾岩、兎口温泉、安吾碑、大棟山美術博物館、喫茶黒谷村、マリア観音と、ぐるっと一回りした。安吾碑には、「夏がきてあのうらうらと浮く綿のような雲を見ると山岳へ浸らずにはいられない」という「黒谷村」の一節が彫られていた。「黒谷村」、好きだなあ。昔の読書メモを見ると、「平凡な山村での一夏の生活も、安吾の手にかかれば幻想的なお伽話になる。しかしこの作品の龍然といい、安吾の小説の登場人物って浮き世離れした不思議な人物ばかりだな。」とある。そういえば、約18年前、上京したばかりのころ、神田の古書店のショーケースに『黒谷村』の初版本があった。欲しい!と思ったけど、たしか60万円ぐらいの値が付いていて、古本ってこんなに高いもんなのかと、とても驚いたことを覚えている。もちろん買えなかった。
 豪農で造り酒屋でもあった旧村山家は、今は大棟山美術博物館となっていて、村山家29代目の政栄氏と30代目の眞雄氏(安吾の義兄)が集めた書画骨董のほか、安吾の描いた戯画や戯文、初版本などが展示されていた。でも、展示物よりも建物自体の方が良かった。安吾がかつていたことのある、その同じ空間に自分もいるのだと思うと、それだけで感極まりそうになった。それにしても、田舎の旧家らしく、大棟山美術博物館はとにかく寒かった。屋内より外気の方が暖かいんだもんなあ。真冬なんかとても耐えられそうにない。

石打・越後川口の謎

 松之山からの帰り道、高速道路に向かっていると、カーナビの画面に石打駅という文字が見えた。安吾小林秀雄のケッサクな逸話を思い出し、二人が見た紅葉を見てみようと立ち寄った。上野駅で偶然同じ汽車に乗り合わせた坂口安吾小林秀雄が、途中ずっと酒を飲み続け、山間の小駅で一足先に安吾が下車する。
 このとき小林秀雄は、

清水トンネルを出るまで呑みつゞけたが、彼は、國境に近い石打といふ驛に下りた。彼は羊羹色のモーニングに、裾の切れた縞ズボン、茶色の靴をはき、それに何をしこたま詰めこんだか、大きな茶色のトランクを下げてゐた。人影もない山間の小驛の、砂利の敷かれたフォームに下り立つたのは彼一人であつた。晩秋であつた。この「風博士」の如き異様な人物の背景は、全山の紅葉であつた。紅葉といふ言葉もいかゞなものか。雄大な雑木の山々は、坂口君のトランク色のすさまじい火災を起こしてゐる様であつた。木枯が來て、これが一齋に舞ひ上つたら、と私は思つた。頭を無造作に分けた彼の顔は、河童の様であつた。彼は、長い事手を振つて私を見送つてゐた。(『小林秀雄全集 第11巻』収録の「坂口安吾選集」より)

 なかなか情緒のある、感動を誘う文章だ。「木枯が來て、これが一齋に舞ひ上つたら」などは、いかにも安吾そのものを表しているような表現で、さすが小林秀雄、とでもいいたくなる。
 一方の安吾は、

私も酔つたが、小林も酔つた。小林は仏頂面に似合はず本心は心のやさしい親切な男だから、私が下車する駅へくると、あゝ俺が持つてやるよと云つて、私の荷物をぶらさげて先に立つて歩いた。そこで私は小林がドッコイショと踏段へおいた荷物を、ヤ、ありがたう、とぶらさげて下りて別れたのである。(中略)人間が乗つたり降りたりしないものだから、ホームの幅が何尺もありやしない。背中にすぐ貨物列車がある。そのうちに小林の乗つた汽車が通りすぎてしまふと、汽車のなくなつた向ふ側に、私よりも一段高いホンモノのプラットホームが現はれた。人間だつてたくさんウロウロしてゐらあ。あのときは呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。(「教祖の文学」)

 なんとも対照的な二人だ。名コンビである。
 盛りは過ぎていたものの、石打駅付近の紅葉は素晴らしかった(一部スキー場になっていたのが残念)。たしかに「すさまじい火災を起こしてゐる」ようだった。てな感じで独り感傷に浸っていたのだが、家に帰って「教祖の文学」を確認してみると、「二人は上越線の食堂車にのりこみ、私の下車する越後川口といふ小駅まで酒をのみつゞけた」とある。どちらかの勘違いか? それとも、二人とも正しいとすると、同じようなことが2度、石打駅と越後川口駅で起こったのか? う〜ん、名コンビである。
小林秀雄全集〈第11巻〉近代絵画 教祖の文学・不良少年とキリスト (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) 松之山―吾が故郷