ぶら下げ

 初めてBL(Boys Love)を読んだ。『お仕事ください!』(音理雄、もえぎ文庫学習研究社)という小説で、元やくざの若頭だった印刷会社の社長と、気の弱い新入り営業マンとの恋愛話だった。印刷会社といってもオフではなく活版。有名な活版印刷所がモデルらしく、そこの若頭、じゃないや、若旦那からこの本をお借りしたのだ。もちろん若旦那はゲイではない。と思う。
 読む前は、濡れ場中心でストーリーは付け足し程度だろうと思っていたんだけど、意外と面白い話だった。でも少年漫画にありがちな「男が男に惚れる」番長ものパターンで、心にグッと訴えかけるような作品ではなかったな。濡れ場も「俺」と「僕」ではなく「俺」と「あたい」でも違和感ないような描きかただし、特別グロくもなくすんなり読めた。
 で、一番衝撃的だったのは、この本自体の組版だ。本文はぶら下げ組みなんだが、

 なんとルビがぶら下がっている! こんなの初めて見た。
 読み進めるとこんなのも。
 カギカッコよ、お前もか!
 ブラ下ゲは句読点だけだと思っていたんだけど、私の感覚が古すぎるのかな。これ以外にも色々気になる点があった。しかし、「腕のいい活版職人」が登場する本で、これはないんじゃないか……。

お仕事ください! (もえぎ文庫)

1Q84タワー

 今日(5/28)、三省堂書店の神保町本店に行ったら、出入り口付近は村上春樹の新刊『1Q84』だらけだった。右を見ても左を見ても大量の平積み。既刊の単行本もずらっと並んでいるから、さながら大々的な村上春樹フェアといったところ。さすが凄い人気だな〜と思いながら奥へ行くと、もっとスゴいのにぶつかった。

 1Q84タワーだ。こうなると本もブロック扱い。読まれるためにつくられた本がこんなふうに使われると、ヤな感じだな。何年か前、横浜の有隣堂で、ハリーポッターが出たとき面白い積み方してて驚いたけど、ここまで大げさではなかった。
 1Q84、買おうかどうか迷ったけど、こんだけあればいつでも買えると思って今日はやめた。地方小出版コーナーで面白そうなの(『鯨取り絵物語』)があったのでそっちにした。手間ひまかかってそうな記述だし、「鯨魚鑬笑録」という奇麗な鯨取りの図説がカラーで収録されている。これで3000円は安い。サイフに余裕があれば『1Q84』も欲しかったけど……そもそも『花と蛇』7〜10巻を買おうと思って神保町に行ったんだった。蛇が鯨に化けるとは。

1Q84 BOOK 1 1Q84 BOOK 2 鯨取り絵物語

世界卓球2009

 卓球の世界選手権が横浜で開かれている。日本人選手もけっこう活躍しているので、毎日のように見てしまう。今日の男子シングルス4回戦、松平健太選手と北京五輪金メダリストの馬琳選手の試合は、もう少しで大金星だったのに、惜しい!
 あと残っている日本選手は、シングルが吉田、石川、あと男女のダブルスか。吉田海偉選手のドライブ、強烈だな。見ていて気持ちいい。久しぶりに卓球をやりたくなってきた。
 私も大昔卓球部だったんだけど、当時とはかなりルールが変わったみたいだ。1ゲームが21点から11点になったので、ストレート勝ちが少なくなって、大物食いが増えたような気がする。21点あると、「前半リードしてもやっぱり最後は実力通り」という展開が多かったし。
 高校時代は学校の部活が終わってから、近所の体育館を回って毎日夜9時まで練習していた。卓球部に入るときには、「遠征の前のひと月は毎日9時まで、それ以外は早く終わる」と聞いていたんだけど、入部してみると毎月のように遠征があるんだもんな〜。当時は「騙された!」と思ったけど、いま考えると楽しい日々だった。常に足の裏4ヵ所にマメがあって、潰れても潰れても新たにマメができるというくらいハードな練習だったけど、充実していたな。スウェーデンのワルドナーが大好きだった。でも、どんくさいのでワルドナーには似ても似つかない、ひたすらドライブで押しまくる卓球をしていた。
 懐かしくなって高校時代に使っていたラケットを取り出してみると、メーカーのタグが半分朽ち果てていてちゃんと読めない。たしか試合に出るためには、メーカー名の入ったタグと卓球協会公認の焼印がないといけなかったはず。今でもそうなんだろうか? だとしたら、もうこのラケットで試合には出られないな。新しいラケットが欲しくなってきた。といっても、試合に出る予定など全くないが。

ダーカーでコニック

 昔使っていたのと同じラケットが欲しくて、いろいろ検索したんだけど、もう同じのはないみたいだ。
 ダーカー(DARKER)というマイナーなメーカーで、ホームページすらないみたい。でもメーカー自体はまだ存続しているようだ。ダーカー研究所という「卓球メーカー「darker」をこよなく愛するブログ」を見つけた。ペンホルダーの檜単版ラケットで有名なのだそうだ。知らなかった。
 私のラケットはシェークで、「スピード25」という名前だったように記憶していたんだけど、これはペンしかないみたい。おかしいな。まあ買ったのが22年前だから、とっくに廃番になったのかも。5枚合板(たしか檜)で、グリップは端に向かって真っ直ぐ広がっているコニックというタイプ。初めてこれを握ったとき、楕円ではなくて少し角張ったグリップがとてもしっくりきて、ノーコンだったドライブが少しだけ安定した。お気に入りのラケットだったんだけど、もうダーカーではコニックというグリップ自体製造していないみたい。残念。メーカータグだけ付け替えてもらえないかな?

☆ワルドナーベストプレー

美しい日本語ってなんだろう

 あのトンデモ本を読んでから、私にとっての美しい日本語ってなんだろう、ってことを考えた。懐かしい紀州弁はひとまず措くとして、文学作品でまず思い浮かんだのが宮沢賢治の「やまなし」。小学校の教科書で読んだときにはわからなかったけど、物心ついてから読み直してぶっ飛んだ。選び抜かれた言葉。ウイスキーの宣伝じゃないが、何も足せないし何も引けない、非の打ち所のない作品だと思った。
 次に浮かんだのが金子光晴『風流尸解記』。ちょっと引いてみる。

 その男は、少女の抜き衣紋の、撥なりの背すじに辷りこむ第二背柱の尖りを見おろすようにのぞき込んでいた。そろそろ梅雨のはじまりの、へんに蒸暑い日で、じんわり汗ばんだ少女の肌が、塗重箱のなかの粽餅のように、饐えたにおいを立てている。少女は、失明者の鋭さで、その男のいるのをとうに気付いていながら、それとないようすを装っていたものとみえて、その男にいきなり腕をつまかれても、さほど狼狽のもようもなく、当然顔で、つれてゆかれる方へ、あるきいだすのであった。
 『あわないですごした一週間が、すこしながすぎたかもしれませんね』
 その男から口を切ったのは、中二階のある仮りの板張りの喫茶店の将几に腰をおろしたときである。
 『わたくしも、あれから毎晩、ねむれませんでした』
 少女は、風邪をひいたような、かすれた声で言った。


   赦免状が三分おくれたために
   胴から首が離れた例もある。
   ましてや、七日間と言えば
   なにごとがあっても不思議はない。


 その男は、切子のコップのなかの、ぎらぎらしたかき氷を、硝子の棒でかき廻しながらそうおもった。

 少女の姿はときどきみえなくなるが、それは、じぶんの家に帰るのだ。だが、彼女はその家のありかを知らせないが、その男も、また、たずねもしない。しかし、二日も少女が姿をみせないと、その男は辛抱できず、いらいらしてくる。なんとかして招きよせるてだてと言うと、彼女の住所をきいていないので彼女に連絡してくれる家の電話番号一つあるきりであったが、世慣れ人間でなくても、それをたぐって彼女の家をしらべるぐらいなことは誰でもするものなのに、その男は、そんなことすらしようとしなかった。それも、ありがちな自尊心からではなくて、それくらいな労力ががまんできないだけの理由からであった。


   待つということは、つらいことだ。
  まるで、生きたまま魚網にのせられ
  せなかと腹をあぶられることだ。
  皮が焦げ、脂がなかから流れるまで
  まっ赤な堅炭の火にかけられることだ。

 こんな調子で(もっといい描写、いかした詩もあるのだが、長くなるしモッタイナイので伏せておく)、散文と詩がまったく違和感なく共存している。不思議な作品だ。美しい日本語の作品を一つだけ選べ、と言われたら、私はこの『風流尸解記』を選ぶ。

 『女たちへのいたみうた 金子光晴詩集』(集英社文庫)の解説で高橋源一郎は『マレー蘭印紀行』を取り上げ、「この本の中の日本語は、この百年間発表されたすべての本の中でももっとも美しい。日本的な因襲のすべてに、生涯にわたって反抗しつづけたその人が書いた日本語こそ、だれのどのような日本語より美しかったのです」と書いている。そして、高橋氏が例として引いたのが次の文章。

迂曲回転してゆく私の舟は、まったく、植物と水との階段をあがって、その世界のはてに没入してゆくのかとあやしまれた。私は舟の簀に仰向けに寝た。さらに抵抗なく、さらにふかく、阿片のように、死のように、未知にすいこまれてゆく私自らを感じた。そのはてが遂に、一つの点にまで狭まってゆくごとく思われてならなかった。ふと、それは、昨夜の木菟の眼をおもわせた。おもえば、南方の天然は、なべて、ねこどりの眼のごとくまたたきをしない。そして、その眼は、ひろがって、どこまでも圧迫してくる。人を深淵に追い込んでくる。
 たとえ、明るくても、軽くても、ときには染料のように色鮮やかでも、それは嘘である。みんな、嘘である。

 ああ、もうため息しかでない。金子光晴にしろ宮沢賢治にしろ、やっぱり詩人の書いた散文には格別のものがある。もともと詩は苦手で小説ばっかり読んでたんだけど、詩と散文の中間ぐらいが、いちばん私の好みに合っているのかもしれない。

セロ弾きのゴーシュ (角川文庫) 風流尸解記 (講談社文芸文庫) 女たちへのいたみうた―金子光晴詩集 (集英社文庫) マレー蘭印紀行 (中公文庫)

『日本語が亡びるとき』を読んでみた

 こないだ(2/13)一応読んどこうかと思ったので、『おやじがき』(内澤旬子、にんげん出版)と『紙魚のたわごと』(庄司浅水朝日新聞社)をはさみ、『日本語が亡びるとき』(水村美苗筑摩書房)を読んでみた。
 で、やっと読み終えようかというところで安吾が出てきた。水村氏は『日本文化私観』を引いて、

 安吾は結論づける。「日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ」!
 日本人がみな安吾のように、いくら文化財などを壊しても「我々は……日本を見失うはずはない」と思っているうちに、日本の都市の風景はどうなっていったか。(中略)てんでばらばらな高さと色と形をしたビルディングと、安普請のワンルーム・マンションと、不揃いのミニ開発の建売住宅と、曲がりくねったコンクリートの道と、(中略)蜘蛛の巣のように空を覆う電線だらけの、何とも申し上げようのない醜い空間になってしまった。散歩するたびの怒りと悲しみと不快。

 ちなみに水村氏が引用した文章のあと、安吾はこう続けている。

日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。湾曲した短い足にズボンをはき、洋服をきて、チョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をすてて、安物の椅子テーブルにふんぞり返って気取っている。それが欧米人の眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。(『日本文化私観』)

 水村氏はさらにこうも書く。

 「我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。(中略)日本を見失うはずはない」と言い放つ坂口安吾だが、「現に日本人」とはいったいどういう人を指すのか。血は日本人だが日本語を読めないという人を私はたくさん知っている。日本語は話せるが日本語を読めないという人もたくさん知っている。かれらも「現に日本人」であり、「日本を見失」っていないと言えるのか。

 そりゃ言えるでしょう。これは拡大解釈に過ぎるかもしれないが、本人が自分を「日本人」だと思っていれば、血を引いていなくても、日本語が読めなくても、たとえ話せなくても、イギリスやアメリカ、オーストラリアやブラジルに3代前から住んでいたとしても。少なくとも私はそう思う。
 それに安吾がここで「日本人」という言葉を挙げて言っているのは,「日本語が読める」とかそんな問題じゃなくて、日本に限らず「そこに住む人」がその実質に満足していれば、「その土地の文化」は健康だ、ということで(「実質」を見極める難しさをもちろん安吾は踏まえて書いている)、それは日本だろうがイギリスだろうが、日本人だろうがイギリス人だろうが関係ないことだろう。外国にいて、必死で(近代)日本語を学んだ人間と、日本にいて、とてつもない執念で外国語(サンスクリット語パーリ語、フランス語等々)を学んだ人間との違いかな。それとも個人の資質か。しかし読みゃあわかるだろうに。
 その後、水村氏は漱石の『三四郎』の一文を引き、

 日本人がこの『三四郎』を「原文」で読めなくなっても、「現に日本人」であり、「日本を見失」っていないと言えるであろうか。

 ここまでくるともう荒唐無稽である。水村氏にとっての日本とは「近代(戦前)の日本」であり、日本人とは「夏目漱石」や「樋口一葉」なのだから、話が噛み合うわけがない。ハイパー団菊ジジイである。私にも団菊ジジイの気があることは自覚しているが、水村氏の足下にも及ばない。もしやこれはギャグ小説か? ギャグ小説ならもっとギャグだとわかりやすく書いてほしい。まさか真に受ける人はいないと思うが。(……と思っていたが、けっこう真に受けて感動している人がいるみたいだ。前半の私小説風の部分はまだしも、後半の独善的で的外れな記述に賛同する人が沢山いるとは、恐ろしい。)
 『日本語が亡びるとき』。ところどころ、なるほど、と思わせる部分もあって一見論理的な記述に見えるのだが、いつの間にかこのように荒唐無稽な話になっている。まるで「風が強いから桶屋の株を買いなさい」みたいな内容だ。とくに後半、近代文学の日本語と歴史的(伝統的)仮名遣い礼賛のあたりはもう目も当てられない。
 そういえば、「具体名」で悪役(もしくは愚者・道化役)として登場する日本人は安吾だけだったかも。最後の最後に筆が滑ったのかな。巻末にちゃんと索引がついていれば、「坂口安吾」の部分だけ読んでこのトンでもない本は買わなかっただろうな。

おやじがき―絶滅危惧種中年男性図鑑 紙魚のたわごと (1966年) 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 日本文化私観―坂口安吾エッセイ選 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

安吾忌2009

 2月17日。今年も安吾忌に行ってきた。会場は神田の如水会館。詳細については坂口安吾デジタルミュージアムにレポートが載ると思うのでそちらでどうぞ。なので、ここでは2次会の話を少々。の前に一つだけ、恒例のカルトクイズでは念願の原稿用紙を頂いた! 20×20の升目の左下に「坂口安吾」と印刷されている未使用の原稿用紙だ。もうこれで今年は何もいりません。一冊も本が買えなくても平気です。ていうくらい嬉しかった。
 で、2次会では、たまたま席が坂口綱男さんの近くになったので、いろいろお話を伺うことができた。留年と退学のため二十歳で高校を卒業とか、アテネフランセの隣の写真学校で賞をもらったとか、気がつけば似た者親子だったという話を「面白いな〜」と思いながら聞いていたのだが、家に帰って『安吾と三千代と四十の豚児と』(坂口綱男集英社)を見てみたらちゃんと書かれていた。読んだはずなんだけどな〜。
 他にも、女性の好みやUコン、ラジコンの話とかあったような気がするけど、なぜか記憶が朧げ。そんなに飲んでないはずだけど、酔ってたのかな。あと、綱男さんが日本エディタースクールの21期生だったことが判明。ということは、私の先輩ではないですか! いやあ、驚いた(これは『安吾と三千代と四十の豚児と』にも書いてなかった)。

安吾と三千代と四十の豚児と