今日はお燈祭

 今日はお燈祭の日だ。お燈祭(おとうまつり)は和歌山の新宮市で開かれる祭りで、1メートルぐらいの大きい松明に火を点けて山を駆け下りる、という至ってシンプルな祭りだ(詳細は旅志貫徹《お燈祭が近づいた、ヤアヤアヤア》をどうぞ)。私は新宮に高校3年間しか住んでなかったし、お燈に上ったのも1回だけなんだけど、今でもたまに、「ああ、お燈に上りたい」と思うぐらい印象に残っている。白装束の中に松明の破片が入って、背中にコブシ大のヤケドを負ったのも、今となっては楽しい思い出だ。荒縄でグルグル巻きになっているから装束を脱ぐわけにいかず、熱い熱いとのたうち回ったっけ。神倉山の上で、松明の森の炎の中にいると、なんだかもう自分の中の縄文の血に火が点いたような感じで、むちゃくちゃ興奮した。感動的な光景だった。
 昨年末の熊野エクスプレス39号にも書いたんだけど、こんな不思議なことがあった。
 去年の夏ごろのことだ。仕事で信じられないようなトラブル、不可抗力というか、自分の力ではなんともしようがない仕事上の事故が何度も続いていた。ある関係者からは「お前、厄払いにでも行った方がいいんじゃないか?」と同情される始末だった。そんなとき、たまたま東京都写真美術館に「キュレーターズ・チョイス07」というのを見にいった。「キュレーターズ〜」を見終えてから、ちょうど同時期にやっていた「鈴木理策:熊野、雪、桜」という写真展も覗いてみた。大判写真が飾ってある2つの展示室をつなぐ細い通路に、お灯祭の写真があった。その写真の中の、無数の松明の炎を見た瞬間、重たいものが落ちてふっと体が軽くなったような気がしたのだが、なんとその日以来、それまで続いていた仕事上のトラブルがピタッと止んだのだ。多分あれは、厄年でもないのに私に取り憑いていた厄だったんだと思う。