クリスマス・イブにカフカ

 今夜はクリスマス・イブで世の中は妙に楽しげだというのに、私はというと独りでフランツ・カフカの『アメリカ』(角川文庫)を読んでいた。ちょっと事情があって嫁はんが実家に帰っているのだ。別に離婚調停中なわけではない。
 そもそもカフカを読み出したのは、『魂の城 カフカ解読』(残雪、平凡社)を読み出したから。なぜ『魂の城』を読み出したかというと、この本の装丁者の小泉弘さんから頂戴したから。なぜ頂戴したかというと、所用で小泉さんの事務所に伺ったとき、『魂の城』の表紙デザインのカンプが机の上にあって、4,5年前(後で調べると1998年だった)に同じ著者の『突囲表演』を読んだことがあると話したところ、後日完成した本をプレゼントしていただいた、という次第。『魂の城』は小泉さんらしいとても静かな装丁で、特に背のタイトル、著者、訳者、版元の文字が絶妙のバランスで左揃えになっているところなんかはもう堪りません。
 それはさておき、本の内容について。この本は、中国の作家、残雪(ツァンシュエ)が、カフカの『アメリカ』『審判』『城』の長編3作と短編12作について書いた評論を一冊にまとめたもの。第一部の「芸術の故郷──『アメリカ(失踪者)』」を読み終わるころになって、作品を読んでもないのに評論を読むのはおかしいんじゃないか?ということに気付き(もっと早く気付け!)、いまさらながら『アメリカ』を読みはじめたというわけだ。『審判』と『城』は読んだことがあったけど(どちらも新潮文庫)、『アメリカ』は未読だったのだ。
 しかし面白いもんです。日本人の訳者が書いた『アメリカ』の文庫版の解説では、「カフカは、彼としては珍しく若い主人公にあたたかい同情の目をそそいで、かなり甘やかし、最後までカール・ロスマンの魂の純潔さと、高貴さを守りとおしてやっている」とある。一方の残雪は、「彼(カール)は船上で(空っぽの幼稚な)正義を発揚し、自分から他人を弁護していたものだが、オクシデンタル・ホテルでは他人のことなどかまわず自分だけを弁護し、警察の前ではむなしい弁護もやめて黙りこくり、ついには公然と嘘をついている。これはまさに道徳的堕落の過程であると同時に、認識の昇華の過程でもある」というように、運命に翻弄されるなかでカールは成熟していると書き、物語の結末を「それは芸術の故郷──地獄──へと向かう列車である」としている。
 この二人の読みの違いは何だろう。単なる感性の違いか、それとも日本と中国というそれぞれの置かれている状況の違いだろうか。“ひとつの精密な専制機構”だというオクシデンタル・ホテルと、そこになかなか適合できないカールについて書く残雪の文章を読んでいると、ホテル(アメリカの縮図?)とカールとの関係は、そのまま中国と残雪の関係として置き換えられるような気もする。やはり国民性の違いなんだろうか。ただ、今日(もう昨日だ)『アメリカ』を読み終えたばかりの私の印象は、「カフカが描く(架空の)“アメリカ”という土地に、抵抗しながらも順応せざるをえないカール少年」というもので、残雪の見解にかなり近いものだった。でも当たり前か。残雪を読んでから『アメリカ』を読んだんだから。

アメリカ (角川文庫) 魂の城 カフカ解読