紙につられて

 久しぶりに村上春樹を読んだ。売れに売れている『海辺のカフカ』。春樹節を久々に堪能、といきたかったが、少しがっかりした。とくに田村カフカの父親の予言(エディプスコンプレックスもどき)のところで白けてしまい、読むのを止めようかとも思った。子どもたちが眠りこけた原因も最後までわからないし、どれもこれもあやふやなまま尻切れトンボで終わっている気がして、結構ストレスのたまる作品だった。春樹節といわれればそれまでだが、以前の長編にはあったカタルシスが欠けているような気がした。なんだか続編がでそうな感じがする。ただ、読み返すと新しい発見があるそうなので、もう一度読んでみようとは思っている。
 とはいっても、最初から『羊をめぐる冒険』を読んだ時のような感動を期待していたわけではなかったから、別にいいのだが。たまたま書店で手に取って本文用紙(MSレイド)が面白かったので買っただけで、隣に並んでいた平野啓一郎の『葬送』も同じ紙を使っていたから、どっちにしようか迷ったくらい。しかし、和紙のようにうっすらと透かしの入った薄い紙は、小説の本文用紙としてはとても珍しいものだと思う。それだけでも買う価値はあるかも知れない。裏うつりもなく、綺麗に印刷されていて、すごく上品な本に仕上がっていると思った。もし続編が出る場合も、ぜひ同じ紙を使って欲しいものだ。

海辺のカフカ〈上〉 海辺のカフカ〈下〉