負ケラレマセン勝ツマデハ

 筑摩書房版『坂口安吾全集』、最初から読みはじめてやっと12巻まできた。
 前の版で通して読んでいるから、ほとんどの作品は読むのは2回目か3回目のはずなのに、けっこう忘れているもんです。「負ケラレマセン勝ツマデハ 」なんて今回も笑い転げてしまって、電車の中で少し恥ずかしい思いをした。これは税務署員が差押え品を取りにきたとき用の対策ノート(想定問答集)作成日記なんだけど、たとえば税務署員(敵)が安吾(私)の家にたむろしている原稿取りの編集者(彼もしくは彼ら)に関して、

 敵。「彼(もしくは彼ら)がそこにいることは品物を運びだす邪魔になる」
 私。「どの品物を運び出す邪魔になるか」
 敵。「たとえばそのテーブルである」
 私。「邪魔になるということは、彼(もしくは彼ら)が存在することによってテーブルを運びだす空間がない、空間が不足しているから作業が不可能であるという意味であるか。それとも、他にもテーブルを運ぶ作業に要するだけの空間はあるが、彼(もしくは彼ら)がそこにおらぬ方が作業に便利であるという意味であるか」
 敵。「彼(もしくは彼ら)が存在するためにテーブルを運ぶ作業が不可能である」
 〔註。テーブルを運ぶ作業に要する空間は他にもあるが彼(もしくは彼ら)の存在しておらぬ方が作業に便利である。という敵の答の時は、ノート特十七頁をひらくべし〕
 私。(女房に向い)「コレ、コレ。巻尺と大工の曲り尺とを持参しなさい。それには差押えの封印はなかったようだ」
 〔註。敵がその巻尺と大工の曲り尺に封印すると言ったときは、
 私。(女房に向い)「コレ、コレ。近所のうちから巻尺と大工の曲り尺を借りてきなさい」とただちに走らせる〕
 私。(女房の持参した巻尺と曲り尺によってテーブルの寸法をはかり、税吏にその大きさを確認させる。さて、他の空間の大きさをテイネイにはかり終わって)「さて、ごらんの通り、この人(もしくはこの人たち)はテーブルのソバに(もしくはテーブルのまわりに)いますが、別にテーブルの上に頬杖をついているワケでもなければ・・・

 こんな具合で、バカバカしいほどに懇切丁寧な想定問答が続くのだ。
 これは多分、この対策ノート自体が、実用のためというよりも、読者を楽しませるためのファルス作品として書かれたものなんだろう。とにかくもう、例文の可笑しさといい、想定問答と後日現れた実際の税吏との会話のズレ具合といい、絶妙です。
 冴え渡る安吾節。この頃(1951年)の安吾もあなどれませんな。
坂口安吾全集〈12〉安吾史譚・夜長姫と耳男 他