ケータイ小説をケータイで読んでみた

 ケータイ小説はもういいか、と思っていたんだけど、試しにケータイを使って『恋空』を読んでみたところ(といっても、ほんの30ページほどだが)、紙本ではあんなに違和感があった文章も、ケータイではけっこうすんなりと読めることに驚いた。ちょうど下から上に流れていくテロップを次々と読んでいく感じだろうか。改行の少ない文章(例えばこのブログ)はケータイでは行間が詰まり過ぎていてとても読む気になれない。ワンセンテンスの短さも、連続改行の多さも、数センチ四方のディスプレイで横書きを読む、という環境に合わせる形で生まれ洗練されてきた結果なんだろうと思った。絵文字や最初驚いた「「 」」も、地の文章を簡素化するための工夫なんだろう。こんなケータイディスプレイに合わせた洗練が、紙に移すとマイナスに働いてしまう。ただし、これは私のような団菊ジジイの感覚であって、ケータイユーザーである女子中高生の間では、「「やっぱり紙の方が読みやすいね♪♪」」という意見が出てきているかも知れない。そうであってほしいのだが。
 ケータイ小説がえらい売れているという話を聞いたとき、ケータイ小説をきっかけに読書の楽しみを知り、他の本も読んでくれる女子中高生が増えるのでは、という希望を持っていた。でも、作品をまずケータイで読み、その後紙の本を買った女子中高生たちの多くは記念品として買うだけで中身は読んでいないという話を聞いてガッカリした。とはいえ中には紙本を読んでみる女子中高生もいるのでは、という期待もあった。しかし今回『恋空』を読んでみて、万一両方読んでくれたとしても、「ケータイで読む方がずっといいじゃない。紙の本って読みにくい」と思われるのがオチじゃないかとも思った。“紙の本はケータイ作品の劣化コピー”なんて印象を持たれた日には最悪だ。そんな彼女達がこれから社会人になり、人の親になっていくとすると、紙に軸足を置くかぎり、出版業界の未来は真っ暗じゃないかと思ったのだ。
 そんなこんなで、ケータイ小説の今後がやけに気になってきて、『ケータイ小説がウケる理由』(吉田悟美一、マイコミ新書)と『ケータイ小説的。』(速水健朗原書房)を続けて読んでみた。『ウケる理由』の方は、作品の内容云々というよりどうやって儲けるかという商売の話が多かったが、作り手、送り手、読み手といった当事者への取材もされており、具体的な証言を取っているぶん説得力があった。
 『ケータイ小説的。』の方は、昨日、もう少しで読み終わるというタイミングで直接著者の速水氏の話を聞くことができた。出版労連の分科会でのことだ。
 速水氏の話(および著書)で興味深かったのは、「郊外」「浜崎あゆみ」「DV」「つながること」等々。『恋空』を読んでいるときは、「この著者はよっぽど浜崎あゆみが好きなんだな」と思っただけだったが、実は『恋空』に限らずケータイ小説を読む上で、浜崎あゆみは欠かせない存在だったのだ。あと、郊外化に沿ったコンテンツ作成を出版界は怠ってきたのではないか、という速水氏の指摘にはドキッとさせられた。
 同じ会にはパネラーとして『天使がくれたもの』(Chaco、スターツ出版)の担当編集者だった大野康恵氏(現小学館)も参加していた。ケータイ用の文体を紙書籍に落とし込む苦労などが語られてとても面白かった。今度読んでみよう。あと、Chaco氏を一人前の作家に育てるために覚悟を決めている様子が伝わってきて、なかなかカッコいい女性だった。『天くれ』書籍化のきっかけは、読者からの本にしてくれという直訴だったそうだ。出版後は友達に薦めるために何冊も本を買って配っている子もいるらしい。物凄い入れ込みようだ。魔法のiらんどのURLを伝えるだけですみそうな気もするが、うがった見方をすると、「私が薦めているこの作品は、ちゃんと本になった、大人も認めた作品なんだ」というアピールもあるのかもしれない。
 つい長々と書いてしまった。ケータイで見ると読めたもんじゃないだろうな、この文章。

ケータイ小説がウケる理由 (マイコミ新書) ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち 天使がくれたもの